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Харваач ! XXXI

Tank.jpg

ウランバートル郊外にある、モンゴル軍が管理する射撃場は、有料で一般の者も軍の銃を撃つことができた。もちろん、実弾である。
たまには趣向を変えてみようと、マギーにそこへ行くことを提案したのだが、あいにく、ムンクさんは所用があり、一緒に行けないという。代わりに、彼の狩猟仲間らしき、元モンゴル軍教官という人が案内してくれることになった。
いかにも教官らしい、背が高くがっしりした体格の、無口な紳士だった。

射撃場に着くと、事前の手続きのため事務所に通された。
実弾を扱うだけあって、そこはきちんとしている。申請書はモンゴル語と英語の表記なので、マギーが私の横で、記入をチェックしてくれている。
氏名、住所、パスポートナンバー、持病の有無など、必要事項を記入し署名した。
いかにも調子の良さそうな、事務員の男が手続きを進めている間、四方の壁に飾られた、モンゴル軍歴代の銃器の写真を眺めていた。
カラシニコフ、シモノフ、トカレフ……、当然だが、ほとんどが旧ソビエト製である。
そして一枚の写真に目が留まった。

モシンナガン1891/30 ―

ボルトアクションのライフル銃で、制式採用は1930年、今はアンティークの部類だ。
帝政ロシア(1721-1917)時代に開発された1891の改良型で、1944年の生産終了までに、多くの派生型が作られた。なかでもスコープを具備した狙撃銃型は、第二次世界大戦で活躍した旧ソビエトの名スナイパー、リュドミラ・パヴリチェンコやヴァシリ・ザイチェフの手によって大きな戦果を挙げた。
射殺したドイツ兵の数は、パヴリチェンコ309人、ザイチェフ225人あるいは257人とも。
パヴリチェンコは、途中で銃をトカレフM1940というセミオートに持ち替えているが、その絶大な戦績から、女性では史上最も優れたスナイパーと称えられた。

「これ、ザイチェフの銃ですよね?」

写真を指差して、事務員の男に話しかけてみたが、私の発音が悪いせいで、彼は何のことだかわからない様子だった。それでも繰り返しているうちに、

「そうだ!ザイチェフだ!君は日本人なのによく知ってるね!」
「ええ、有名なスナイパーですから」

事務員の男は、感心したように何度も頷いた。
マギーが小さく口を挟んだ。

「映画かTVを観て知ったんでしょ?」

少し機嫌が悪そうだ。
ロシア語どころか英語もろくにできない人が、旧ソビエトの人物について学んでいるわけがない、と言いたげだ。
マギーの知識と語学力は確かだが、こういったマニアックなことは、私のほうが詳しいこともあるし、専門用語を並べて、かろうじて意思疎通ができる。
ただそれとは関係なく、彼女は自分をとばして話をされるのが面白くないのだ。
そんなとき、チクッと言った。

「もう通訳は必要ないですね」

だから、どんなマニアックな話でも、先ず彼女を通すことにしていたのだが、特に興味を引かれたときには、つい、うっかりしてしまうこともあった。
今思い返してみても、彼女は仕事に真面目で、いつも一生懸命だった。


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