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Харваач !  XXXVII

横浜.jpg

マギーが日本を離れる日、成田空港まで見送りに行った。
最後に成田エクスプレスで行きたいというので、私も付き合った。秋の穏やかな日で、朝早くに横浜から乗った。彼女にとってこの列車は特に思い出深いのだろう、車中、留学時代のことばかり話した。
彼女が初めて日本の地を踏んだのは高校2年生のときで、都心に向かう成田エクスプレスに乗った。

「高校2年といえば、まだ16か17だね、ひとりで不安だったろう?」

彼女は微笑んで、小さく頷いた。

「5月で田圃が青々としていて…、窓の外を見て驚きました、日本は都会だと思っていたのに、なーんだ、モンゴルとたいして変わらないじゃない、そう思いました」

彼女は懐かしそうに笑った。

それからは思い出すままに話した。
ホームスティで日本のお母さんにお味噌汁の作り方を習ったこと。優しかった日本のお父さんが数年前に亡くなったこと…。
そして、同じ大学で仲の良かった青年が、彼女が留学を終えて帰国のとき、なぜか見送りに来てくれなかったこと。

「彼が、マギーがモンゴルに帰っちゃう、そう言ってすごく落ち込んでいたそうです、あとで日本の友達から聞いて…」
「彼は君のことが本当に好きだったんだね…」

マギーは応えず、窓の外へ目を向けた。
留学時代の話もそこで止まって、ふたりで黙ったまま、流れていく秋の景色を眺めていた。
ふと、彼女の顔に目を戻すと、その大きな瞳に涙をいっぱい溜めていた。彼女はそれがこぼれても拭おうとせず、静かに、じっと遠くを見つめていた。

私たちは再会の約束をして、空港の出発ロビーで別れた。
彼女はアメリカへ旅立ち、それからしばらくして、アメリカ人男性と結婚した。
結婚後も、アメリカとモンゴルの親元を行き来していたが、あれから再び日本に来たという話は聞かない。そして、生まれたばかりの娘の写真を最後に、便りが途絶えた。

私はマギーとの僅かな日々で多くのことを学び、それらはやがて信念に変わっていった。
あの涙のわけが、日本のお父さんが亡くなったことの悲しさだったのか、それとも、心を交わした日本の青年への想いだったのかはわからない。
でも彼女は私に、あれほど日本に思いを寄せてくれたモンゴル人がいたことを、そして彼女のような人は今もきっとどこかにいて、さらに耳をすませば、他の国の人々のなかにも数え切れないほど見つけられるだろうと、気づかせてくれたのだ。

成田空港・第1ターミナルの出発ロビーは、セキュリティチェックから出国審査へ進むとき、エスカレーターを降りながら、見送る人、見送られる人、最後にもう一度、互いの姿を見ることができる。
私はガラス越しに、足下に消えていくマギーに小さく手を振った。

そのとき彼女がふざけて ―

私にむかって、やさしく唇をとがらせた。
その顔が可笑しくも可愛らしくて、彼女のことを思い出すたび、
瞼に浮かんでくる。




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