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馬冑と高句麗の馬上武芸 Ⅰ

馬冑1.jpg

既に断絶した古代東アジアの馬上武芸のすがたについては、古墳から発掘された武具や馬具、壁画などを参考に、当時の社会的背景や文献、さらに現在の武術や馬術などとすり合わせながら推察する以外に手だてがなく、そこに費用的な問題も重なって、全容の解明と復元への道はきわめて険しい。そうしたなかにあって、韓国の韓民族伝統馬上武芸撃毬協会は、成功させている数少ない団体である。
私にとって、高句麗重騎兵の槍を主とする馬上武芸と装備の復元は、「馬射戲」と並ぶ非常に重要なテーマである。その理由の内に、日本の馬冑の存在がある。

1957年、和歌山県・大谷古墳(5世紀後半)の発掘で、東アジアで初めて馬冑が出土した。
馬冑とは馬の頭部に被せる鉄製の冑のことで、通常、馬の首、胴体、脚を覆う馬鎧とともに装着される。この馬冑と馬鎧は、古代東アジアの北方騎馬文化圏における、重騎兵の典型的な装備である。
もともと馬冑の存在については、発掘以前から高句麗古墳の壁画に描かれていたことで知られてはいたが、驚くべきことは、その実物が壁画のある朝鮮半島ではなく、海を隔てた日本で見つかったことである。

大谷古墳での発見から23年後の1980年、二つめの馬冑が韓国の釜山市・福泉洞10号墳から出土し、続いて1986年1月、三つめの馬冑が韓国の慶尚南道陜川郡・城山古墳群から出土した。
一方、1894年に埼玉将軍塚古墳から出土した3つの鉄片が、1988年、日韓の研究者らによって馬冑の部材と認められ、検証の末、形状に共通点が多いと判断された福泉洞10号墳のものを参考に復元された。その馬冑は現在、埼玉県行田市のさきたま資料館に展示されている。

写真:模造 馬冑 大谷古墳出土 東京国立博物館蔵



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