So-net無料ブログ作成
検索選択

Asian Martial Arts Commission

Asian Martial Arts Commision.jpg

武芸を通じて、アジアの国々と人々を一つに。
アジア人であることを、心の底から誇りに思えるように。


Харваач ! XXVI

オペラ劇場.jpg

ウランバートルの街が近づくにつれ、道が舗装路になり、店やガソリンスタンドもポツポツと現れはじめた。やがて車が街に入り、

「ムンクさん、ここでいいよ、ありがとう!」

私はホテルではなく、街の中心地にある国営デパート(現在はノミンデパート)の前で降ろしてもらった。
明日はもう帰国なのだが、土産などの買い物がまだ残っている。早朝の便なので、二人には早めに休んでもらうために、ここで別れることにした。
ウヌルさんも車から降りてきて、彼女にしてはめずらしく真顔でしんみりと言った。

「今日はありがとう、フスタイへ連れて行ってくれて…、楽しかったよ」

明日の朝、空港まで私に付き添って彼女の仕事は終わり。
一緒にあちこち観てまわるのは今日までだが、別れの挨拶はまだ早かろう。

「いや、ムンクさんのおかげだよ。こちらこそありがとう、付き合ってくれて」

通訳無しの買い物は少し心許ないが、すっかり眠りに落ちているエルデネのことも気にかかる。
日暮れまでまだ時間もあるし、最後の日ぐらいひとりで“冒険”してみるのもいいだろう。

国営デパート前の大通り沿いにある土産物店には、モンゴルに来たときは必ず寄ることにしている。最近、店の中も小綺麗になったが、その分、商品もありきたりのものが増えた。以前は年代物の銀製品や鐙、鏃など、珍しい骨董品がごろごろあって結構楽しめた。
なかでも驚いたのは、旧日本軍の軍刀まで並べられていたことだった。軍刀は柄や鞘、鐔などといった拵はすでに失われており、所々に赤錆が浮いた刀身のみで、むき出しになった茎にそれぞれ日本人の名が彫られていた。おそらく元の持ち主であろう。

そういえば、このウランバートルの街は、第二次世界大戦後、旧ソビエトによって当地に抑留された日本人捕虜が造ったと聞いた。スフバートル広場に隣接するオペラ劇場などがその象徴的なものだ。
しかし、過酷な強制労働のため、1945年~1947年のたった2年間で、抑留されていた約12,000人のうち約1,600人が命を落としたという。土産物店でみた軍刀は、彼らが遺していったものに違いない。
現在、ウランバートル北部にあるダンバダルジャー日本人慰霊碑のほか、モンゴル国内に慰霊碑が点在している。

ところで、ムンクさんの祖父と父は第二次世界大戦当時、モンゴル人民共和国(1924-1992)の軍人として日本軍と戦ったそうだ。
詳しいことは聞きそびれたが、旧ソビエトが1945年8月9日に日本に対し宣戦布告、それに続くかたちで、モンゴル人民共和国が宣戦布告したのが8月10日だから、駆りだされた戦場はおおむね、満州国か今の内モンゴル辺りだ。
私の祖父は海軍で太平洋方面だったので、ムンクさん一家と直接的に銃火を交えていないことは幸いだったが、かつては敵同士であっても、今ではお互いの孫たちが、こうして冗談を言いながら一緒に遊んでいる。
このことだけでも、国と国、人と人との争いというものが、いかに愚かで馬鹿げたことであるかがわかる。

あらかた買い物が済むと、自然と私の足が、あのインターネットカフェの方へ向いた。



Харваач ! XXV

タヒの群れ2.jpg

2タヒの親子.jpg

ビジターセンターに戻る途中、見晴らしの良い場所に車を止めて、持ってきたパンとハムで簡単な昼食をとった。
モンゴルのパンはどれも硬くてボソボソで、あまりおいしいとはいえないが、反対にハムやソーセージは抜群においしい。そこは肉を主食とする騎馬遊牧民族のセンスだろうか。ハムはムンクさんが数ある中から選んで買ってくれたもの。味わいながらムンクさんにあらためて礼を言うと、ウヌルさんが私の耳元でコソッと、

「もっとおいしいのがあるのよ」

まぁ、どこの国も女性は食べ物にうるさい。

ビジターセンターでナドメッドさんに別れの挨拶をし、フスタイを後にした。
私はタヒを見るという目的を果たしたはずなのに、なぜか未だ物足りなさというか、空しさみたいなものを感じていた。そもそも、どこまで本気でタヒを見たかったのか…。
ウランバートルに戻っても、報告すべき相手はもういない。あのインターネットカフェでの出来事を思い返して、

“これで気が済んだだろう…”

自分自身にそう納得させるほかなかった。

傾きはじめた陽の光が、広大な大地の寂しさをより際立たせている。
あいかわらず単調な景色が続く中、時おり、白いゲルと家畜の群れが現れては後ろに流れていった。
ちなみに、ゲルとは遊牧民の移動式住居のことだが、ほかにパオとも呼ばれている。が、実は、パオというのは中国人からの蔑称なのだそうだ。包物という意味で、“あんなのは家とはいえない”という含みがある。だからこの地でパオは禁句である。

車中の静かさにふと気が付けば、ウヌルさんもエルデネも寝てしまっている。
長距離ドライブで疲れたのだろう。聞こえるのは、窓から入る風の音、ディーゼルエンジンの音、乾いた地面を蹴るタイヤの音。
しばらくして、さすがにムンクさんも沈黙に耐えかねたのか、どこかのゲルで飼われているのであろう犬をみつけて、

オオカミ!オオカミ!」
「えっ!?ムンクさん、ストップ、ストップ!」

私はすっかり真に受けて、あわてて“オオカミ”にカメラを向けたが、

「キヒヒヒ」

ムンクさんの意地悪そうな笑い声で気が付いた。
いつの間にか起きていたウヌルさんも、後ろで笑いたいのを堪えている。
私はムッとしたふりをして、

「まったくもう…」

味を占めたムンクさん、それからも犬を見つけては、

「オオカミ!」

そのたび私は、「ワォ!」「はいはい」などと、適当に相槌を打った。

オオカミ?.jpg

私のカメラに捉えられた“オオカミ”?

hustai.jpg



武士の道 人の道

海蔵寺.jpg

11193425_815002558569574_4345525036043910318_n.jpg

11137088_815002531902910_1157265775351133723_n.jpg

鎌倉・扇ガ谷にある海蔵寺。
ここに、私の弓馬の恩師・金子家教先生が眠っている。
7回忌にあたる今年、旧友の案内でお墓参りに。

image.jpg

生前お好きだったスイカを御仏前にと、海蔵寺近くのご自宅兼教場「平安居」にも
寄らせていただいた。
が、真新しい「武田流弓馬道教場」の看板とは裏腹に、庭の雑草が伸び放題。
安土の手入れも、どのくらいしていないのか…。

“まったく…、これだから先生に呼ばれてしまうのだ”

先生、時間が取れるようになったら、また草刈りに来ましょうか。

鞭影.jpg

“快馬は鞭影を見るや正路につく”

帰り道、ふらっと立ち寄った古本屋で、先代有鄰先生(家教先生の父上)の著書を
見つけた。今となっては希少本だ。出来すぎた偶然だが、事実である。
実は、数日前にも同じ本を手に入れたばかり。さらに、今回のものは署名がされており、

鞭影 金子有橉 (花押)

とある。
「鞭影」は、有鄰先生が特に好んでお使いになられていた語である。
墓参の土産として、この暗示を肝に銘じておこう。


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。