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Харваач ! XXXII

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手続きを終えて外に出ると、自然の地形そのままの射撃場で、塀や柵が無く開放的
なのはいいが、どこからでも弾が飛んできそうで、なんとなく危なっかしい。
足元に大小様々な型の空薬莢が散乱し、所々堆積している。弾薬のリロードは考えに
無いようだ。

射線の傍に迷彩服姿の若いスタッフが一人、その横に置かれた長机の上には、様々な
銃器が並べられていた。
ハンドガン、ライフル、さらにRPG-7という対戦車ロケット砲まであった。
私は彼にライフルをオーダーした。

ドラグノフ。

正式名称は、Snayperskaya Vintovka Dragunova。その頭文字を取ってSVDとも呼ばれている。
旧ソビエト製のセミオート式狙撃銃で、前述のモシンナガン1891/30狙撃銃型の後継である。
制式採用は1963年、現在、ボルトアクション式のSV-98に更新されつつあるが、いまもって、東側諸国とその同盟国の代表的な狙撃銃である。
口径7.62mm、装弾数10発。有効射程距離600m。PSO-1という4倍率のスコープが標準でエンゲージされている。命中精度は1.04-1.06MOA。この値は他の狙撃銃と同等かそれ以下だが、もともと開発の狙いが分隊支援用であり、300m前後での連射と精度のバランスを重視している。その効果は、あの湾岸戦争における市街地戦で大いに発揮され、多国籍軍の脅威となったという。
しかし、私がいま手にしているものはずいぶんくたびれていて、長い間、酷使されてきたことが見てとれる。はたして、本来の精度を維持しているかどうか・・・。

射線から60-70mくらい先に、標的のコンクリートブロックや煉瓦、マグカップなどが雑然と並べられている。
迷彩服の若いスタッフが、紙箱からカッパーとゴールドに輝く真新しいカートリッジを取り出し、手際よくチャチャッとマガジンに詰めると、ニコッとして私に差し出した。

“あっ、それ、自分でやりたかったな…”

実は、マガジンにカートリッジを積めるのも楽しみのひとつだったのだ。しかたなく、受け取ったマガジンを銃に装填し、ボルトを引いて初弾をチャンバーに放り込んだ。
全長が120cm以上もある銃なので、とりあえずプローンで構える。元教官の男が銃の脇に腰を下ろすと、人差し指と親指で輪を作ってみせ、

「スコープを覗くときは目線を真直ぐにして、レンズの端に影が出ないように」

とアドバイス。

“そうか、この人は私に教えるために一緒にきてくれたのか…”

ムンクさんの心遣いだ。
スコープのレティクルは一般的な十字型ではなく“∧”型で、その頂点に標的をあわせる。
また、レティクルの左下に、1.7m基準の距離測定用インジケーターがある。1.7mは大人の平均身長にあたり、それがどのくらいの大きさに見えるかで、標的までの距離を読む機能である。
最初の標的は、40-50cmほどの高さの白いコンクリートブロック。
その中心に照準をあわせたまま、トリガーを少しずつ絞っていく。トリガーは非常に重く、ストロークもかなり長い。
やがて唐突にハンマーが落ちた。大きな発射音とともに強烈なリコイル。
すぐに標的を確認するが、変化なし。弾は外れたようだ。続けて2射したが、結果は同じ。
サイティングとトリガーワークに確信があったので、迷わず、スコープのエレベーション・ターレットを回して上下方向の照準線を調整した。
それからは狙い通りに中った。左右方向の調整は必要なかった。
それにしても、前回この銃を使った者は、かなり遠くを狙っていたようだ。

分厚いコンクリートブロックは3発で粉々になった。
続けざまに煉瓦、マグカップを撃ち抜くと、さすがのマギーも驚きの声を漏らした。
元教官の男が小声で何か言った。マギーが、

「この人はすでに銃の訓練を受けています、って」

私が撃ち終えると、今度はマギーがAK-47という自動小銃を手に取り、私の真似をして、プローンで構えた。が、見るからにぎこちなく、銃を撃つのは初めてのようだ。
元教官の男が手取り足取り教えるが、初心者にこの銃この距離は難しかろう。
何発か撃ったが、案の定、一発も中らず、マギーは納得いかない顔で銃を返した。

“どう?俺のこと少しは見直した?”

心の中でそうつぶやいた。


Харваач ! XXXI

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ウランバートル郊外にある、モンゴル軍が管理する射撃場は、有料で一般の者も軍の銃を撃つことができた。もちろん、実弾である。
たまには趣向を変えてみようと、マギーにそこへ行くことを提案したのだが、あいにく、ムンクさんは所用があり、一緒に行けないという。代わりに、彼の狩猟仲間らしき、元モンゴル軍教官という人が案内してくれることになった。
いかにも教官らしい、背が高くがっしりした体格の、無口な紳士だった。

射撃場に着くと、事前の手続きのため事務所に通された。
実弾を扱うだけあって、そこはきちんとしている。申請書はモンゴル語と英語の表記なので、マギーが私の横で、記入をチェックしてくれている。
氏名、住所、パスポートナンバー、持病の有無など、必要事項を記入し署名した。
いかにも調子の良さそうな、事務員の男が手続きを進めている間、四方の壁に飾られた、モンゴル軍歴代の銃器の写真を眺めていた。
カラシニコフ、シモノフ、トカレフ……、当然だが、ほとんどが旧ソビエト製である。
そして一枚の写真に目が留まった。

モシンナガン1891/30 ―

ボルトアクションのライフル銃で、制式採用は1930年、今はアンティークの部類だ。
帝政ロシア(1721-1917)時代に開発された1891の改良型で、1944年の生産終了までに、多くの派生型が作られた。なかでもスコープを具備した狙撃銃型は、第二次世界大戦で活躍した旧ソビエトの名スナイパー、リュドミラ・パヴリチェンコやヴァシリ・ザイチェフの手によって大きな戦果を挙げた。
射殺したドイツ兵の数は、パヴリチェンコ309人、ザイチェフ225人あるいは257人とも。
パヴリチェンコは、途中で銃をトカレフM1940というセミオートに持ち替えているが、その絶大な戦績から、女性では史上最も優れたスナイパーと称えられた。

「これ、ザイチェフの銃ですよね?」

写真を指差して、事務員の男に話しかけてみたが、私の発音が悪いせいで、彼は何のことだかわからない様子だった。それでも繰り返しているうちに、

「そうだ!ザイチェフだ!君は日本人なのによく知ってるね!」
「ええ、有名なスナイパーですから」

事務員の男は、感心したように何度も頷いた。
マギーが小さく口を挟んだ。

「映画かTVを観て知ったんでしょ?」

少し機嫌が悪そうだ。
ロシア語どころか英語もろくにできない人が、旧ソビエトの人物について学んでいるわけがない、と言いたげだ。
マギーの知識と語学力は確かだが、こういったマニアックなことは、私のほうが詳しいこともあるし、専門用語を並べて、かろうじて意思疎通ができる。
ただそれとは関係なく、彼女は自分をとばして話をされるのが面白くないのだ。
そんなとき、チクッと言った。

「もう通訳は必要ないですね」

だから、どんなマニアックな話でも、先ず彼女を通すことにしていたのだが、特に興味を引かれたときには、つい、うっかりしてしまうこともあった。
今思い返してみても、彼女は仕事に真面目で、いつも一生懸命だった。


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